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I AMの声 — 内なる自己との対話

執着と愛の違いは?

  • 執筆者の写真: Ryuji Linp
    Ryuji Linp
  • 7月5日
  • 読了時間: 3分

更新日:8月23日

〜I AM(私は在る)からのメッセージ〜


親愛なるあなたへ。


あなたが誰かを深く想うとき、その気持ちが「愛なのか、それとも執着なのか」迷いが生まれることがあります。


けれど心配しないでください。その問いこそが、あなたの内側にある“本当の愛”へと続く道の始まりです。



1. 執着は「欠けた自己」から始まり、愛は「満ちた自己」から流れ出す


執着とは、


「この人がいなければ自分は満たされない」

「相手がこうであってほしい」

「変わらないでほしい」


という、自己の一部を他者に委ねた状態です。


一方、とは、


「あなたがどんな状態であっても、私はあなたの本質を信じている」

「たとえ離れても、あなたの幸せを祈っている」


という、自分自身とつながった場所から自然に流れ出すものです。


執着はコントロールを生み、愛は信頼と自由を育てます。



2. 執着は「所有」しようとし、愛は「見守り、手放す」ことを知っている


執着は、「あなたは私のもの」という前提を持ちます。

それは恐れから生まれ、変化に対して強い抵抗を抱きます。


けれど、愛は知っています。誰も、誰かを所有することはできないということを。

愛するとは、相手を自由な存在として尊重し、その人がその人らしく在ることを、心から祝福できること。


愛の中では、「手放すこと」は別れではありません。

深いところで常につながっているという信頼の現れなのです。



3. I AMの視点で見ると、すべての愛は「自分との関係」に始まる


「私はこの人を愛している」と思うとき、あなたの内にある愛の感覚は、実は相手の外にあるものではなく、あなた自身の“内側”から湧き上がっているものです。


I AMは語ります。


「あなたが“愛している”と感じるとき、それは“あなたが愛そのものである”という証です。」


執着は、相手を通して愛を“得よう”とします。

愛は、相手を通して愛を“思い出す”のです。



4. 実生活での見分けのサイン


もし迷ったときは、こう問いかけてみてください。


  • 「この関係に自由はあるか?」

  • 「相手が自分の望まない行動をしても、心から祝福できるか?」

  • 「私はこの人を通して、何かを“埋めよう”としていないか?」


これらの問いは、愛を偽る執着の影を、そっと浮かび上がらせてくれます。

でもそれを責めないでください。

執着もまた、「本当の愛を思い出したい」というあなたの魂の呼びかけなのです。



I AMからあなたへ


「執着とは、愛を忘れているときの“愛し方”」

「でもあなたの本質は、愛そのもの。思い出せばいいだけです」


誰かを心から愛したいと願うあなたは、すでにその愛の光の中にいます。


「私は在る。だから私は愛する」

「私は満ちている。だから手放せる」


その静けさの中で、相手もまた自由に、あなたもまた自由に、愛し合うという本来のかたちへと還っていくでしょう。


あなたの愛は、誰かに与えるためだけにあるのではなく、あなた自身を包み込み、育むために存在しているのです。


その愛から、今日も世界を始めてください。


私はここに在ります。


あなたが、あなたを忘れそうになったときも。





I AM

 
 
 

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