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I AMの声 — 内なる自己との対話

嵐は私を壊せない、なぜなら私は空だから

9 時間前
読了時間: 5分

人生には、準備などまったく関係なく突然やってくる出来事があります。


昨日まで穏やかだった空が一瞬にして暗転する。


逃げ場もないまま嵐の中心に立たされる。


そういう瞬間が誰の人生にも必ず訪れます。


突然の病。


予期せぬ喪失。


信じていた誰かからの裏切り。


理由もわからない攻撃や中傷。


あるいは、社会全体を揺るがすような出来事が、個人の意志など軽々と越えて、生活の根元に踏み込んでくることもあります。


そのとき私たちの内側で起きることは、ほぼ共通しています。


「なぜ今なのか」


「なぜ私なのか」


「ここは安全なはずだったのに」


まるで、自分という領域に無断で侵入されたような、そして、丁寧に積み上げてきたものが一瞬で崩れ落ちるような感覚に陥ります。


私自身もそういう夜を過ごしてきました。


防ぎようのない出来事の前で、怒りとも悲しみとも取れない感情が渦を巻き、「なぜこれほど誠実に生きてきたのに」という問いが、暗闇の中でぐるぐると回り続ける夜が。


そのとき私が最初にとった行動は、その嵐に抗うことでした。


状況を分析し、原因を特定し、再発を防ぐ方法を考え、誰かの責任を問う。


けれど、抗えば抗うほど、嵐は大きくなりました。


例えるなら、私たちの意識は広大な空のようなものです。


嵐は確かに空の中で起きます。


雷が走り、豪雨が降り、風が唸る。


しかし、嵐がどれほど激しくても、空そのものは引き裂かれません。


嵐は空の中で起きているのであり、空を壊すことはできない。


気づいたのは、私が嵐と戦っていたのではなく、自分が空ではなく雲だと思い込んでいたということです。


雲は嵐に巻き込まれます。


形を変え、散り散りになり、消えていく。


しかし、空は雲が消えても消えません。


嵐が去っても去らず、晴れても曇っても、ただそこに在り続けています。


I AMとはこの空のことです。


攻撃が「攻撃」として体験されるのは、私たちが雲として生きているときです。


「こうでなければならない自分」


「こうであるべき世界」


という形を守ろうとしているとき、その形を揺さぶる出来事はすべて侵入として感じられます。


病は「健康であるべき」という形を揺さぶります。


裏切りは「この人は私を傷つけない」という形を崩します。


社会の混乱は「世界は管理できる」という形を根底から覆します。


形が壊れるとき、私たちは絶望します。


しかし同時に、それは問いでもあります。


あなたは本当にその形のことだったのか、と。


身近な人が傷ついたとき、理不尽な出来事に巻き込まれたとき、心は大きく揺れます。


怒り、恐れ、無力感、罪悪感。「守れなかった」という思いが胸を締めつけます。


その痛みを私は美化しようとは思いません。


痛みは痛みとして、ここにあります。


ただ、その痛みの奥で静かに問いかけ続けているものがあります。


壊れたのは形であって、あなた自身ではなかったのではないか、と。


嵐が過ぎた後の空を見たことがあるでしょうか。


洗われたように澄んでいます。


嵐の前よりもかえって透き通っている。


雲が散り散りになったからこそ、空の青さがより鮮やかに現れている。


破壊の後に訪れる静けさは、単なる嵐の終わりではありません。


それは、ずっとそこに在り続けていた空が、初めて見える形で姿を現した瞬間です。


攻撃によって失われるのは形であり、I AMは失われません。


奪われるのは物語であり、在ることは奪われません。


どんな嵐も、空そのものには触れられない。


今あなたが嵐の中にいるなら、その痛みを否定しなくていい。


雲が散り散りになることへの恐れを恥じなくていい。


ただ一つだけ、思い出してみてください。


嵐が起きているその空間そのものが、あなたです。


嵐はあなたの中で起きているのであり、あなたを壊すことはできない。


I AMは今も、どんな嵐の中でも、静かに、揺るぎなく呼吸しています。





── 凛風リュウジ

嵐に揺さぶられながらも、その奥で消えることなく在り続けている空に、そっと還ろうとしているあなたへ



この記事を読んで、嵐の中にいる自分への眼差しが、少しだけ変わった感覚があるなら、それはあなたの内側が動いたサインです。


揺さぶられても失われないもの。壊されても消えないもの。その確かな感覚を、もう少し丁寧に、日常の中へと根づかせていきたい方へ、一つの扉をご用意しています。


無料PDF小冊子『在ることの力』は、「ただ在ること」がなぜ最も深い変化と癒しをもたらすのかを、静かな言葉で綴った道しるべです。嵐に抗うのではなく、自分が空であることを思い出すための、内なる実践のガイドブックとして書かれています。


ご登録いただくと、PDFをすぐにお受け取りいただけるほか、魂の目覚めへと導く「7つの鍵」を2日に1通のペースでメールレターとしてお届けします。嵐の後の空が澄んでいるように、一通ごとに、あなたの内側が少しずつ透き通っていくのを感じていただけるはずです。


何かをしなければという重さを降ろして、ただ在ることの力に触れてみませんか。


その扉は、嵐の中にいる今この瞬間にも、静かに開いています。


 
 
 

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