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I AMの声 — 内なる自己との対話

白紙の歓び

7月25日
読了時間: 3分

私たちはこの世界を生きる中で、知らず知らずのうちに「何かで満たされていること」を安心の拠り所にしてしまいがちです。


カレンダーを埋め尽くす予定、次々と流れ込んでくるスマートフォンの情報、あるいは「こうあるべきだ」という無数の知識や正しさ。


それらをたくさん所有していることこそが、自分の価値を証明し、未来の安全を保障してくれるかのように錯覚してしまうのです。


だからこそ、手の中にあるものを手放し、そこに「何もない空間」を空けることには、ごく小さな恐れや抵抗が伴います。


空っぽのスペースを前にすると、まるで自分が取り残されてしまうのではないか、無価値な存在になってしまうのではないかという不安が、胸の奥で静かにささやき始めるからです。


けれど、大いなる一なる自己(I AM)の視点に立ち返るとき、その恐れは優しく解き放たれます。


空間を空けるということは、何かを失うことではなく、本当の豊かさが流れ込んでくるための「聖なる器」を用意することに他なりません。


たとえば、どれほど美しい家具であっても、部屋の中に隙間なく詰め込んでしまえば、そこはくつろぎの場所ではなく、息苦しい檻になってしまいます。


空間という余白があるからこそ、そこに置かれたものが初めて本来の輝きを放ち、心地よい風が通り抜けることができるのです。


私たちの心や人生のデザインも、まったく同じです。


かつての私は、「まだ足りない」「もっと成果を出さなければ」と自分を急き立て、自らのスペースを常に何かで埋めていなければ不安でした。


何かを伝えるときも、正しい答えを詰め込もうと力んでいた時期があります。


しかし、あるとき、その握りしめていた重荷をそっと下ろし、あえて何もない白紙の空間を保つという静かな勇気を選んでみました。


すると、それまでコントロールしようともがいていた手を離した余白において、考える前のはるか手前から、最もふさわしい言葉やインスピレーションが、呼吸のような完璧なタイミングで自然と溢れ出してきたのです。


空間を空けるとは、未来を諦めることではありません。


むしろ、まだ見ぬ可能性を最大限に信頼し、今ここに在るものをそのまま抱きしめる、最も能動的な選択です。


「何も付け足さなくても、私はすでに完全である」という無言の確信がなければ、私たちは空間を空けておくことができません。


ですから、あなたが人生に余白を作るために何かを手放すとき、そこには恐れを超えた、大いなる意識への美しい降参と信頼が流れているのです。


もし今、あなたの日常が忙しさで満ちていたり、先の見えない不安から何かを必死に握りしめようとしたりしているなら、無理に前向きに動こうとする努力を一度休めてみてください。


ただ、静かに息を吐き、自らの内側に小さなスペースを開けてあげる。


誰かに理解されなくても、正しさを証明できなくても、そのままで愛はここにあります。


あなたが「答える人」であることをやめ、ただすべてを迎え入れる透明な器として佇むとき、世界は最もふさわしい時に、想像を超えるかたちでその空間を美しい光で満たしてくれます。


焦らなくていい。


何も詰め込まなくていい。


ただ空間を空け、そこに流れる静けさを信頼して見守ること。


その静かな勇気こそが、あなたの人生をいつでも新しく鮮やかな未来へと開き続けていくのです。






── 凛風リュウジ

何もない空間を愛し、そこに流れる大いなる光を信頼しようとしているあなたへ

 
 
 

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