私たちは何度も死んでいるのに、なぜ覚えていないのか
古い写真を見返していると、そこに写っている自分が、まるで別の人のように思えることがあります。服装も髪型も表情も違う。何を考えていたのかも、いまでは思い出せない。同じ名前で呼ばれてきたはずなのに、あの頃の私と、いまの私は、本当に同じ人なのでしょうか。
もし違うのだとしたら、あの頃の私は、どこへ行ったのでしょう。静かに終わっていたのだとしたら、私たちは気づかないうちに、何度も何度も、終わりを通り過ぎてきたことになります。
この記事では、生物学、心理学、哲学、古代インドの聖典、荘子の逸話、そして悲嘆の研究という六つの入口から、「終わる」ことと「覚えている」ことの不思議な関係をたどっていきたいと思います。輪廻を信じるかどうかとは関係なく読める内容です。
大切な方との別れの只中にいらっしゃる場合は、無理に読み進めず、気持ちが向いたときにお読みください。
気づかれないまま、何度も終わっている
私たちの身体は、静かに入れ替わり続けています。赤血球の寿命はおよそ120日、小腸の内側を覆う細胞は数日で入れ替わります。よく「7年で全身の細胞がすべて入れ替わる」と言われますが、これは正確ではありません。大脳皮質の神経細胞の多くのように、生涯ほとんど入れ替わらない細胞もあるからです。それでも、身体のあちこちで、細胞が終わっては生まれ続けていることは確かです。
心の側にも似た現象があります。大人になった私たちの多くは、三、四歳より前の出来事をほとんど思い出せません。心理学で「幼児期健忘」と呼ばれる現象です。あの頃の赤ちゃんは、確かにこの世界で泣き、笑い、何かを感じていたはずなのに、その経験の大部分は、いまの私にはつながっていません。
私も、十年前の記事を読み返して、そこに書かれた悩みの重さに、他人事のような距離を感じたことがあります。当時の私にとっては世界のすべてだった悩みが、いまはほとんど思い出せないのです。
もちろん、これを文字どおりの死と呼ぶのは比喩です。けれど、比喩だからこそ見えてくるものがあります。終わったものを覚えていないとき、それは「終わった」と言えるのでしょうか。それとも、ただ気づかれていないだけなのでしょうか。
「私」とは、記憶のつながりにすぎないのか
イギリスの哲学者デレク・パーフィットは、1984年の著書『理由と人格』(原題 Reasons and Persons)で、「私が私であり続ける」とはどういうことかを徹底的に問いました。彼の結論は大胆です。私たちを一つの「私」にしているのは、魂のような変わらない核ではなく、記憶や性格、意図が時間をまたいでつながっているという事実にすぎない、というのです。
この見方では、つながりの強さには濃淡があります。昨日の私とは強くつながっていても、二十年前の私とは、ほとんどつながっていないかもしれません。つながりが薄れていくことは、ゆるやかに別人になっていくことだと言い換えられます。
パーフィットは、この考えを受け入れたことで、自分の死に対する感じ方が変わったと書いています。それまでは、自分の人生がガラスのトンネルの中に閉じ込められているように感じていた。ところが考え方が変わると、そのトンネルの壁がなくなり、開けた場所で暮らしているように感じられるようになった、というのです。自分の死も、以前ほど悪いものには思えなくなった、と。もちろん、これは一人の哲学者の実感であり、誰もが同じように感じるべきだという話ではありません。
この見方に立つと、記憶は私という存在の本体ではなく、その都度身に纏っている衣装のようなものに見えてきます。衣装が替われば、人は別人のように見えます。パーフィット自身は、衣装の下に変わらない誰かを認めませんでした。ただ、ここで一つの問いを置いてみたいのです。衣装が替わるたびに別人のように見えるのなら、その衣装を「着ている」のは、誰なのでしょうか。
衣は捨てられるのではなく、畳まれる
古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、この問いに通じるたとえがあります。人が擦り切れた衣を脱いで新しい衣を着るように、身体の主である存在も、古びた身体を離れて新しい身体に入っていく、というものです。輪廻の教えの文脈で語られる言葉ですが、ここでは「衣」という比喩に注目してみます。衣を替えても、着ている者は変わらない。パーフィットとは正反対の見方ですが、同じ問いを、反対側から照らしています。
日本には、着物を脱いだあと、畳んで畳紙(たとうし)に包み、箪笥にしまう作法があります。捨てるのではありません。形を整え、次に袖を通す日まで、大切に仕舞っておきます。
衣替えの季節に、押入れから去年の服を取り出すたび、私は不思議な気持ちになります。同じ服なのに、袖を通す私は、去年とは少し違っているからです。
もし経験や記憶が衣装だとしたら、役目を終えた衣は、消え去ったのではなく、静かに畳まれているだけなのかもしれません。畳まれた衣は、失われたわけではなく、いまは着られていないだけです。そう考えると、終わりという言葉の響きが、少しだけやわらぎます。
妻を亡くした荘子は、器を叩いて歌った
古代中国の思想家・荘子には、妻の死にまつわる有名な逸話があります。『荘子』の至楽篇(しらくへん)に収められた話です。
荘子の妻が亡くなったと聞いて、友人の恵子(けいし)が弔問に訪れました。ところが荘子は、地面に足を投げ出して座り、素焼きの器を叩きながら歌っていました。恵子は驚き、長年連れ添った妻が亡くなったのに、泣かないばかりか歌うとは、あまりにひどいではないか、と責めます。
荘子は答えます。妻が亡くなった直後は、自分も悲しまなかったわけではない。けれど、よく考えてみると、人にはもともと生まれる前があり、そこには身体どころか、気すらなかった。それが混じり合って気となり、形となり、命となった。そしていま再び変化して、死へ向かった。春夏秋冬がめぐるのと同じことだ。妻は、天地という大きな部屋で安らかに眠っているのに、自分が泣き叫んだなら、命の道理に通じていないことになると思い、やめたのだ、と。
注目したいのは、「最初は悲しまぬはずがなかった」という一言です。荘子は悲しみを感じなかったのではなく、まず悲しんだうえで、その悲しみを別の見方へと開いていきました。
ですから、この境地を、悲しみの只中にいる人に急いで勧めることはできません。順序を飛ばして「悲しむ必要はない」と言うことは、荘子の話の読み方としても、誤りだと思います。悲しみには、悲しみにふさわしい時間があります。
悲しみは、行き場を失った愛
イギリスの精神科医コリン・マレー・パークスは、悲嘆研究の草分けとして知られています。1972年の著書『死別』(原題 Bereavement)で彼は、悲嘆の痛みは愛する喜びと同じく人生の一部であり、愛することの代償とも言える、という趣旨のことを述べました。愛着が深いほど、失ったときの痛みも深い。悲しみは、愛が壊れた印ではなく、愛が確かにあった証でもあるのです。
かつては、悲しみを乗り越えるとは、亡くなった人との結びつきを断ち切り、気持ちを手放すことだと考えられていました。ところが1996年、デニス・クラスらが編んだ『Continuing Bonds(継続する絆)』は、この見方に疑問を投げかけます。遺された人の多くが、亡くなった人との内なる絆を保ち続けており、それは回復の妨げではなく、むしろ支えになりうることが示されたのです。亡き人に語りかけたり、その人ならどう言うかを思い浮かべて決断したりすることが、自然な営みとして捉え直されました。
日本で、仏壇に手を合わせ、お墓参りをし、お盆に故人を迎える習わしが受け継がれてきたのは、まさにこの「絆を保つ場」を持つためだったのではないでしょうか。供養とは、愛の行き場をつくる営みなのかもしれません。
こうして見てくると、悲しみは、愛が消えた状態ではなく、愛が向かう先を失って、行き場を探している状態だと捉えることができます。そうであれば、必要なのは愛を消すことではなく、愛の新しい行き場を見つけることです。それは、急いで見つける必要はありません。
まとめ:衣を纏い、畳む者──I AMを、暮らしの中で思い出し続けるために
ここまでたどってきた道のりを、あらためて眺めてみましょう。身体の細胞は入れ替わり、幼い頃の記憶は途切れている。「私」を記憶のつながりにすぎないと見る哲学者がいる一方で、衣を替えても着ている者は変わらないと説く聖典がある。荘子は、悲しんだうえで、死を季節のめぐりのような変化として受けとめた。そして悲嘆の研究は、悲しみを、愛が向かう先を失った状態として照らし出している。
どの入口から見ても、問われているのは同じことです。衣装が替わり、記憶が畳まれていくなかで、それでも変わらず「いま、ここに在る」と感じているものは何か、という問いです。
その問いに、名前をつけるとしたら何になるでしょうか。「私は在る(I AM)」という、何の飾りもつかない気づきだと、私は思います。幼い頃の私も、十年前の私も、いまの私も、この「在る」という感覚だけは、同じように持っていました。記憶という衣装は替わっても、「在る」という感覚そのものは、衣装の一枚ではありません。
愛もまた、衣装ではなく、その「在る」ところから湧いてくるものなのかもしれません。行き場を失ったように見える愛も、消えたわけではなく、いまはまだ、向かう先を探している途中なのでしょう。
いま身に纏っているこの衣装の下で、静かに在り続けているものは、何でしょうか。
ここまで読んで、「衣装の下に在るもの」という一点には頭で頷けても、大切な人を思い出す夜や、過去の自分を責めたくなる朝には、また感情に飲み込まれてしまう、と感じた方もいるかもしれません。それは自然なことです。
気づきは一瞬で訪れても、それを日々の暮らしの中で繰り返し思い出せるようになるまでには、少し時間がかかります。そのあいだ、一人では見えにくい部分をそっと照らしてくれる場や伴走があることは、心強い助けになることがあります。
衣の下に在るものとして、日常を生きる
衣装の下に在るものに気づいたあとも、私たちは変わらず、日常という舞台で、さまざまな衣装を着て暮らしていきます。仕事の顔、家族の顔、誰かを失った人の顔。それらを無理に脱ぐ必要はありません。ただ、着ていることを思い出しながら、その下の静けさへ、何度でも戻れるようになること。それだけです。
とはいえ、記憶という衣装は、疲れたときや悲しいときほど、重く身にまとわりつきます。そのたびに、「在る」という一点へ、やさしく視点を戻してくれる場があることは、大きな支えになります。
魂の統合プログラム ── I AMとして"在る"を生きる は、そうした静かな呼びかけから生まれたプログラムです。何かを新しく手に入れるためではなく、衣装の下に在るものを、半年という時間をかけて、暮らしの実感として思い出していくための場です。
なお、日常生活に支障が出るほどつらい悲しみが続くときは、医療機関やグリーフケアの窓口など、専門的な支えも頼ってください。
気になる方は、よろしければ覗いてみてください。


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