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I AMの声 — 内なる自己との対話

「死は存在しない」という言葉が、残酷に響くとき

24 時間前
読了時間: 5分
数か月前、大切な人を亡くしました。少しでも心が軽くなればと、以前から読んでいた本を開くと、「死は存在しない」「本当のあの人は、どこにも行っていない」という言葉が目に入ります。 以前の私なら、深くうなずいていたはずの言葉です。けれど今は、その言葉がむしろ残酷に響くのです。まるで、こんなに悲しんでいる私が間違っていると言われているようで。あの人の声も、温もりも、もうどこにもないのに。 悲しみから抜け出せない私は、真理をわかっていないということなのでしょうか。

お便りありがとうございます。


言葉にならない日々の中で、それでもこうして問いを綴ってくださったこと。その一文字一文字の重さを思いながら、このお返事を書いています。


最初にお伝えしたいのは、その言葉が残酷に響くのは、あなたの感性が、真っ直ぐに誠実だからだということです。あなたは何ひとつ間違っていません。そして、悲しみから抜け出せないことは、真理から遠ざかっている証拠などではありません。


どれほど深い真理の言葉も、悲しみに蓋をするために差し出されたとき、それは刃になってしまいます。


私自身、そのことを苦い思いとともに知っています。


かつて、大切な人を亡くしたばかりの知人に、私はよかれと思って「死は終わりではないから」と伝えたことがあります。自分が信じてきた真理を少しでも慰めとして届けたかったのです。けれど、その人は小さくうなずいたきり、黙り込んでしまいました。その沈黙の意味に私が気づいたのはずっと後のことでした。


あのとき私が差し出したのは、慰めではなく、「早く悲しみを終わらせてほしい」という、私自身の居心地の悪さだったのかもしれません。目の前の涙に寄り添う代わりに、正しい言葉で、その涙を急いで拭おうとしていたのです。


あの頃の私は、真理とは悲しみを消してくれるもの、悲しみを越えた場所にあるものだと思い込んでいました。


では、「死は存在しない」とは、本当は何を語ろうとしている言葉なのでしょうか。


ここで、夕暮れのお寺で鳴らされる鐘の音を思い浮かべてみてください。


ゴーン、と深い音が響き、それがゆっくりと空へ広がっていきます。やがて音は少しずつ細くなり、私たちの耳は、消えていくその響きを、名残を惜しむように追いかけます。もう少し、あと少しだけ、と。


消えていく音を惜しむ、その切なさこそが、悲しみの正体なのかもしれません。


そして、音が完全に消えたあと、辺りには静けさが戻ってきます。けれど、その静けさは、鐘が鳴る前の静けさとは、どこか違って感じられないでしょうか。響きを知ったあとの静けさには、確かに何かが満ちています。


「死は存在しない」という言葉は、音が消えない、という意味ではありません。あの人の声や温もりが、今もそのまま手の届く場所にある、という意味でもありません。形あるものは、確かに移ろい、消えていきます。その喪失は、紛れもない現実です。


けれど、その響きを生んでいた静けさ、その響きを聴いていたあなた、そして二人のあいだで響き合っていた愛そのもの。それらは、音が消えても、どこへも行ってはいないのです。


そして、もうひとつ、問いを置かせてください。


あなたは今、なぜこれほどまでに悲しいのでしょうか。


それは、あなたがその人を、それほどまでに深く愛していたからです。悲しみの深さは、愛の深さと、まったく同じ深さをしています。


愛が向かう先を失ったとき、愛は「悲しみ」という名前で呼ばれるようになります。けれど、名前が変わっても、それが愛であることに変わりはありません。あなたが今抱えている悲しみは、あの人を愛し続けている、その愛の姿そのものなのです。


私が気づいたのは、悲しみは乗り越えるものではなく、愛の続きとして抱いていくものだ、ということでした。


悲しみを急いで手放そうとするとき、私たちはそれと一緒に、その人を愛した記憶まで遠ざけようとしてしまいます。けれど、悲しみを悲しみのままに抱きしめているとき、そこには確かに、今もあの人を想うあなたが在ります。


真理は急ぎません。「死は存在しない」という言葉が、いつかあなたの胸に、慰めとは違う静かな実感として降りてくる日が来るかもしれません。けれどそれは、悲しみを終わらせた先にではなく、悲しみの一番奥に、そっと灯っているものです。今はまだ、その言葉を脇に置いておいて構いません。


もしよろしければ、今日の終わりに、その人に宛てて、一行だけ言葉を書いてみてください。


「今日は、空がきれいだったよ」


「あなたの好きだったお菓子を見かけたよ」


伝えたいことを整える必要も、返事を待つ必要もありません。ただ、以前そうしていたように、今日のひとつを、その人に話しかけるように綴ってみるのです。書きながら涙がこぼれても、それで構いません。その涙もまた、二人のあいだを流れ続けている、愛の響きのひとつなのですから。


それから、眠れない日や食事が喉を通らない日が長く続くときには、どうか一人で抱え込まず、身近な人や、グリーフケアに携わる専門家を頼ってください。悲しみを誰かと分かち合うことは、あの人への愛を手放すことではありません。


悲しんでいるあなたは、真理から離れてなどいません。あの人を失って泣いているその瞬間も、あなたは一度だって「在る」から離れたことはありませんでした。そして、あなたが愛したその人もまた、同じひとつの「在る」の中で、確かに響いていた存在です。


どうか、悲しむことを自分に許してあげてください。涙が止まらない夜は、止めようとしなくていいのです。あの人を想って泣いているご自分を、どうかやさしく抱きしめてあげてください。




── 凛風リュウジ 愛した人を想い、今、涙の中に在るあなたへ



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