許せない私は、まだ目覚めていないのでしょうか
長いあいだ、親から傷つけられてきました。言葉で、態度で、ときにはもっと深いところで。大人になった今も、あの頃のことを思い出すと胸が締めつけられ、怒りと悲しみが込み上げてきます。 すべては赦されている、相手を許すことで自分が自由になる、という言葉を何度も目にしてきました。頭ではわかっているつもりです。 けれど、どうしても許せないのです。許せない私は、まだ目覚めていないということなのでしょうか。
お便りありがとうございます。
この問いを言葉にするまでに、どれほどの時間と、どれほどの勇気が必要だったことでしょう。まずはそのことに、心から敬意をお伝えしたいと思います。
そして最初にお伝えしたいのは、許せないあなたは、何ひとつ間違っていないということです。許せないという気持ちは、あなたが目覚めていない証拠ではありません。深く傷ついた心が、それでも懸命に自分を守ろうとしてきた誠実な痕跡なのです。
私自身にも、どうしても許せない人がいた時期がありました。その人の名前を耳にするだけで体がこわばり、夜中にふと目が覚めると、言われた言葉が何度も頭の中で再生される。そのたびに「こんなことに囚われている自分は、まだまだだ」と、今度は自分を責めていました。許せない相手への怒りと、許せない自分への失望。二重の重さを抱えたまま、「早く許さなければ」と、自分の心を急かし続けていたのです。
あの頃の私は、許しを「努力して到達しなければならない試験」のように思い込んでいました。合格できない自分は、まだ真理から遠い場所にいるのだと。
けれど、ここで少し立ち止まって、冬の湖を思い浮かべてみてください。
長く厳しい寒さの中で、湖の表面は厚い氷に覆われています。その氷に向かって「今すぐ溶けなさい」と命じても氷は溶けません。叩いても、責めても、かえって硬くなるばかりです。氷が溶けるのは、誰かが命じたときではなく、やわらかな日差しが、何日も、何週間も、ただ当たり続けたときです。そして、そのときが来れば、氷は誰に言われなくとも、自然に水へと還っていきます。
あなたの心を覆っている怒りや悲しみも、この氷に似ています。それは、凍えるような季節を生き延びるために、心がつくり出した大切な覆いでした。その覆いがあったからこそ、あなたは今日まで生きてこられたのです。
そして、氷がどれほど厚く張っていようと、その下の水は一度も凍りついてはいません。氷の下で、水は静かに、ずっと在り続けています。怒りの下にも、悲しみの下にも、傷つけられることのなかった「在る」が、今もそのまま息づいているのです。
ここで、ひとつ問いを置かせてください。
「早く許さなければ」「許せない自分はだめだ」と、あなたを急かし、裁いているその声は、誰の声でしょうか。
もしかするとその声は、かつてあなたに「どうしてできないの」「まだ足りない」と向けられた声と、どこか似てはいないでしょうか。だとしたら、許せない自分を責めるたびに、あなたは知らず知らずのうちに、あの頃と同じ場所へ自分を連れ戻しているのかもしれません。
私が気づいたのは、許しとは、過去の出来事をなかったことにすることでも、相手の行いを正しかったと認めることでもない、ということでした。ましてや、傷つけた人のもとへ戻り、関係を修復しなければならないということでもありません。距離を置くことも、会わないと決めることも、あなた自身を大切にする、ひとつの愛のかたちです。
許しとは、もっと静かな出来事です。それは、あの頃の物語の中で「傷つけられる子ども」という役を、もう演じ続けなくていいと、自分自身に許すこと。そしてその許しは、相手に向けるより先に、まず「許せない自分」に向けられるとき、いちばん自然に始まっていきます。
許せなくていい。今はまだ、それでいい。そう言ってもらえたとき、固く握りしめていた手が、ほんの少し緩むことがあります。氷に日差しが当たりはじめるのは、いつもその瞬間からです。
もしよろしければ、今夜、眠る前に、胸にそっと手を当ててみてください。そして、心の中で自分に語りかけるように、こう伝えてみるのです。
「許せなくていいよ。ここまで、よく生きてきたね」
何かが変わるのを待つ必要はありません。怒りが消えなくても、涙がこぼれても、それで構いません。その言葉が、あなたの内側に届いたかどうかさえ、確かめなくていいのです。日差しは、ただ当たり続けていれば十分なのですから。
それから、もしその痛みがあまりにも重く、ひとりで抱えるには苦しすぎると感じるときには、信頼できる誰かや、心の専門家に話を聴いてもらうことも、どうかためらわないでください。誰かの手を借りることは、弱さではなく、あなたが自分自身を大切に扱っているという、確かなしるしです。
目覚めとは、怒りや悲しみを感じなくなることではありません。怒りが怒りとして、悲しみが悲しみとして、ありのままにここにあることを、責めることなく見つめている。その静かな眼差しこそが、すでに「在る」の光そのものです。
許せないと感じているその瞬間も、あなたは一度だって「在る」から離れたことなどありませんでした。あなたの神聖さは、誰かに傷つけられたことで、一ミリも損なわれてはいないのです。
氷が溶ける季節は、急がなくても、必ず訪れます。どうかそれまでのあいだ、凍えながらも懸命に生きてきたご自分をいちばん近くでやさしく抱きしめてあげてください。
── 凛風リュウジ
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