静けさは、職場で消えてしまうのか
朝、静かに座っていると、「私は在る」という感覚がふっとわかる瞬間があります。何も足さなくていい、何も変えなくていい、という完全な静けさです。 けれど、職場に着いてメールを開き、周りの声を聞いた途端、その静けさはどこかへ消えてしまいます。気がつけば一日中焦りと緊張の中にいて、夜になって「今日も一度も思い出さなかった」と落ち込んでしまう。 あの静けさは、ただの気分だったのでしょうか。私の気づきは偽物だったのでしょうか。
お便りありがとうございます。
最初にお伝えしたいのは、あなたの気づきは偽物などではない、ということです。そして、あなたが今感じている落差は、この真理の道を歩む誰もが一度は立ち止まり、問いかける愛おしいプロセスでもあります。
私自身も、まったく同じ場所を通ってきました。
かつて私は、静かな朝の時間に言葉を紡ぐひとときを、とても大切にしていました。まだ世界が眠っているような静寂の中で、自分という個の輪郭がすーっと溶けていき、ただ「書く」という現象だけが起きている。そんな透明な「在る」感覚に包まれるたび、これこそが真理であり、探していた静けさなのだと感じていたのです。
ところが、ひとたび日常の活動が始まり、人とのやりとりや様々な調整事に追われ始めると、その透明さはあっけなく吹き飛んでしまいました。誰かの何気ない言葉に心が波立ち、頭の中で答えを探し回り、夕方にはすっかり疲れ果てている。夜になって、「朝のあの尊い静けさは、一体どこへ行ってしまったのだろう」と、大切な宝物をどこかに置き忘れてきたような敗北感を味わっていました。
あの頃の私は、静けさを「努力して手に入れるもの」「大切に保持しなければならないもの」、そして「油断すると失ってしまうもの」だと思い込んでいたのです。
では、本当にあの静けさは消えてしまったのでしょうか。
ここで、映画館のスクリーンを思い浮かべてみてください。
穏やかな海辺の場面が映っているとき、私たちは「ああ、スクリーンがあるな」と、その背景を感じ取ることができます。けれど、スクリーン上で激しいドラマや事件が始まると、私たちは一瞬で映像の世界に引き込まれ、スクリーンの存在などすっかり忘れてしまいます。
けれど、ドラマが盛り上がっているあいだ、スクリーンは消えていたのでしょうか。
いいえ、一度たりとも消えてはいません。どれほど激しい嵐の場面が映っていようと、スクリーンそのものは濡れることも、傷つくこともなく、ただそのままそこに在り続けています。スクリーンがなければ、どんな映像も映ることすらできません。
静かな時間の中で感じていた穏やかさは、いわばスクリーンに映っていた「静かな場面」です。それ自体はとても美しい体験ですが、体験である以上、移り変わります。けれど、あなたが本当に触れていたのは、その場面の奥で、すべてを優しく包み込んでいた「スクリーン(私は今在る)」のほうだったのです。
職場で焦りや緊張という激しいドラマが映し出されているあいだも、あなたという「在る」スクリーンは、一度もどこへも行っていません。焦りが焦りとして感じられていること自体が、それを映し出している光がそこにある証拠なのです。
そして、もうひとつ、問いを置かせてください。
「今日も一度も思い出さなかった」と、夜になって気づいたのは、誰でしょうか。
その瞬間、あなたは一日を振り返り、「忘れていた」という事実に気づいています。その「気づいている」という透明な眼差しこそが、朝の静寂の中で触れていたものと、まったく同じ「在る」の光です。
つまり、「消えてしまった」と落胆した場所に立ちながらも、その瞬間、あなたはすでに一度も離れていなかった「ここ」に戻ってきています。落ち込む理由に見えていたものが、実は、あなたが最初からずっと完全であったことの証明だったのです。
私がこの事実に気づいてから変わったのは、静けさを「保とう」とするすべての努力をやめたことでした。
静けさを保とうとするとき、私たちはそれを「守るべき持ち物」にしてしまい、守れなかった自分を責める材料にしてしまいます。けれど、最初から離れることすら不可能だったと知ったとき、失うものなど何もなかったのだと分かります。忘れても、何も問題はありません。忘れることさえも、一なる自己が描く愛おしい影の戯れにすぎないのですから。
もしよろしければ、明日の職場で、何かひとつ軽やかな合図を作ってみてください。
ドアのノブに触れるとき、パソコンの電源を入れるとき、あるいは温かいお茶を一口飲むとき。その瞬間に、ひと呼吸だけ置いて、心の中でそっと問いかけてみるのです。
「今、これに気づいているものは何だろう?」
答えを探す必要も、自分を正す必要もありません。問いを置いた瞬間に、ほんのわずか、映像からスクリーンへと視点がふっと戻る軽やかさを感じていただければ、それで十分です。
うまく思い出せない日があっても、焦りの中に飲み込まれる日があっても、あなたの神聖さは一ミリも損なわれません。瞑想の中の静けさも、職場の賑やかなざわめきも、すべては同じひとつの「在る」という水面に浮かぶ、愛おしい泡にすぎないのです。
静けさは、あなたが職場に置き忘れてくるものではありません。あなたがどこへ行こうと、いつだって先にそこであなたを待っている、あなたそのものです。
焦りの只中にいるときも、自分を責めてしまいそうな夜も、あなたは一度だって「在る」から離れたことなどありませんでした。
不完全さのままで在る自由を、どうかご自分に許してあげてください。忘れてしまうたびに、ただ軽やかに「おかえりなさい」と、ご自分を抱きしめてあげてください。
── 凛風リュウジ
永遠なる静けさの中で、すでに満たされているあなたへ
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【あなたからの問いへ】では、読者の皆さまから寄せられた問いに、毎週木曜日にお返事のを書いています。
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