ただ在ればいいのなら、努力は無意味なのか
「何もしなくていい。ただ在ればいい」この言葉に出会ったとき、肩の荷がすっと下りるような安らぎを感じました。ずっと何かに追い立てられるように生きてきた私にとって、それは救いのように響いたのです。けれど、しばらくすると、別の戸惑いが生まれてきました。もし本当に何もしなくていいのなら、毎日の仕事に打ち込むことや、将来のために努力することに、いったい何の意味があるのでしょう。目標に向かって頑張ろうとするたびに、「これもエゴの営みなのでは」と、どこかで冷めてしまう自分がいます。私はこのまま、何も目指さずに生きていけばいいのでしょうか。
お便りありがとうございます。
最初にお伝えしたいのは、あなたの戸惑いは、とても自然なものだということです。そしてそれは、あなたの中で長いあいだ当たり前だった「生き方の土台」が、静かに入れ替わろうとしているしるしでもあります。古い床板が外されたとき、足もとが一瞬ふわりと心もとなく感じられるのは、新しい床がまだ見えていないからにすぎません。
私自身も、まったく同じ揺れの中にいたことがあります。
かつて美容師として働いていた頃、私は毎日、何かを証明するようにハサミを握っていました。指名を増やさなければ、技術で認められなければ、ここに自分の居場所はない。営業後の深夜まで練習を重ね、結果が出ない月には、自分の価値そのものが削られていくように感じていました。
そんな日々の中で、ときどき不思議な時間が訪れることがありました。目の前のお客様の髪に向き合っているうちに、時間の感覚がふっと消え、ただハサミの音と、指先の感触だけが静かに続いていく。誰かに認められるためでも、売上のためでもなく、ただ「切る」ということだけが、澄んだ水のように流れている。その時間のあとには、疲れどころか、不思議な満ち足りた感覚が残っていました。
当時の私は、その二つの時間がまったく別の土台の上に立っていることに、まだ気づいていなかったのです。
では、「ただ在ればいい」という言葉は、本当に努力を否定しているのでしょうか。
ここで、海岸で遊ぶ小さな子どもを思い浮かべてみてください。
子どもは、夢中になって砂のお城をつくっています。小さな手で砂を集め、水を運び、壁を固め、塔を立てる。額に汗を浮かべながら、驚くほどの集中力で、何度も何度もやり直します。それは紛れもなく全身全霊の努力です。
けれど、その子は、誰かに認められるためにお城をつくっているのではありません。お城を完成させなければ自分には価値がない、と思っているわけでもありません。ただ、内側から湧き上がってくる喜びのままに手が動いているのです。
そして、やがて波が来てお城が崩れても、その子は笑って、また新しいお城をつくりはじめます。
ここに、二つの努力のかたちがあります。
ひとつは、「足りない私」を埋めるための努力。もうひとつは、すでに満ちているところから、自然に溢れ出してくる努力。外から見れば、どちらも同じように手を動かし、汗を流しているように見えます。けれど、その土台はまったく違います。
「何もしなくていい」という言葉が手放すように促しているのは、行動そのものではありません。「何かをしなければ、私は在ることを許されない」という、古い思い込みのほうなのです。
そして、もうひとつ、問いを置かせてください。
もし、あなたがもう何ひとつ証明しなくていいとしたら。誰かに認められなくても、何かを成し遂げなくても、あなたの価値が一ミリも揺らがないとしたら。
あなたは明日、何をしてみたいでしょうか。
もしかすると、驚くほど多くのことが浮かんでくるかもしれません。あるいは、今の仕事を、今とはまったく違う気持ちで続けている自分が見えてくるかもしれません。
努力が無意味に思えてきたのは、努力そのものに意味がなかったからではありません。これまでの努力が、「足りない私」を支えるための燃料として使われてきたからです。その燃料がもう必要なくなりつつあるとき、エンジンは一度、静かに止まったように感じられます。けれどそれは終わりではありません。別の源から、別の動きが生まれてくる前の大切な静けさなのです。
私が気づいたのは、在ることと、行うことは、少しも矛盾しないということでした。
在ることは、何もしないことではありません。在ることの中から、行いは自然に生まれてきます。将来のために計画を立てることも、仕事の技術を磨くことも、満ちたところから差し出されるなら、それはそのまま、在ることのひとつの表現になるのです。
もしよろしければ、明日の仕事の中で、ひとつだけ、結果を気にせずに「ただ丁寧に行う」ことを選んでみてください。
一通のメールを書くこと。一杯のお茶を淹れること。書類を一枚整えること。何でも構いません。それを、うまくやろうとするのでも、誰かに評価されるためでもなく、海岸の子どものように、ただその行い自体に心を委ねてみるのです。
そのとき、手を動かしながらも、どこか深いところが静かに休んでいる。そんな感覚にほんの少しでも触れていただければそれで十分です。
頑張ってしまう日があっても、何もする気が起きない日があっても、あなたの価値は少しも変わりません。努力する日のあなたも、立ち止まる日のあなたも、すべては同じひとつの「在る」から生まれ、同じひとつの「在る」へと還っていく愛おしい動きにすぎないのです。
あなたは、何かをするために在るのではありません。在るからこそ、何かをしたくなるのです。
どうか、目指すことを恐れずに、満ちたままのあなたで、明日へ歩き出してみてください。波が来てお城が崩れても、また笑って砂を集めはじめる。そんな軽やかさを、ご自分に許してあげてください。
── 凛風リュウジ
満ちたまま、明日へ歩き出すあなたへ
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