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I AMの声 — 内なる自己との対話

三分だけ、読むのをやめてみませんか。はじめての小さな実践

2025年3月30日
読了時間: 5分

更新日:3 日前

この記事は、読むためというより、少し立ち止まるためにあります。


何かを理解しようとしなくて大丈夫です。正しくやろうとする必要もありません。うまくできたかどうかを、あとで確かめる必要もありません。


必要なのは、三分ほどの時間と、今いるその場所だけです。電車の中でも、仕事の合間でも、寝る前の布団の中でもかまいません。姿勢を整える必要もありません。ただ、もしできるなら、肩の力を少しだけ抜いてみてください。


では、始めましょう。


まず、今いる場所の音に、耳を澄ませてみてください。


遠くを走る車の音。

エアコンや冷蔵庫の、かすかな唸り。

誰かの話し声、鳥の声、風の音。

あるいは、ほとんど何も聞こえない、という静けさ。


音を探しにいかなくていいのです。ただ、すでに聞こえているものに、気づくだけ。その音が心地よいか、うるさいかを決めなくてもかまいません。名前をつけなくてもかまいません。音が来て、音が去っていく。それを、ただそのままにしておきます。


…

…

…


少し、時間をとってみてください。


…

…

…


音は、次々に現れては消えていきました。

けれどあなたは、何もしていなかったはずです。

音を呼び寄せたわけでも、追い払ったわけでもない。

それでも、すべての音はちゃんと聞こえていました。


次に、意識を呼吸へ移してみます。


呼吸を変えようとしないでください。深くしようとも、ゆっくりにしようともせず、今しているままの呼吸に、ただ気づいてみます。息が入ってくるとき、鼻の奥や胸のあたりが、わずかに広がる感じ。息が出ていくとき、身体がほんの少しゆるむ感じ。


呼吸は、あなたが意識していないあいだも、ずっと続いていました。眠っているあいだも、この文章を読んでいるあいだも。あなたが「呼吸をしている」というより、呼吸が、あなたの中で起きている。そんなふうに感じられるかもしれません。


…

…

…


入ってきて、出ていく。


また入ってきて、出ていく。


…

…

…


途中で考えごとが浮かんできても、まったく問題ありません。それも、音と同じように、来ては去っていくものです。気づいたら、またそっと呼吸に戻ってくればいいだけです。


では、最後の一つです。


ここまで、あなたは音に気づき、呼吸に気づいてきました。そこで今度は、少しだけ向きを変えてみます。


音に気づいていたのは、何でしょう。

呼吸に気づいていたのは、何でしょう。


答えを探さなくていいのです。

言葉にしなくていいのです。


ただ、音や呼吸や考えごとが現れては消えていくあいだも、ずっとそこに在り続けていた「気づいている何か」に、ほんの一瞬、意識を向けてみてください。


それは、どこか特定の場所にあるわけではないかもしれません。形も、色も、境目もないかもしれません。けれど、確かにここに在る。何も足さず、何も引かなくても、すでにここに在る。


…

…

…


それで、終わりです。


もしかすると、何かを感じたかもしれません。


静けさのようなもの。

広がりのようなもの。

ふっと肩が軽くなるような、理由のわからない安心。


あるいは、何も感じなかったかもしれません。


「よくわからなかった」

「雑念ばかりだった」

「本当にこれでいいのだろうか」


そう思われた方もいるでしょう。


どちらでも、まったくかまいません。


ここで大切なのは、特別な体験をすることではないのです。何かを感じたときも、何も感じなかったときも、そのどちらにも気づいていた何かが、変わらずにそこに在った。そのことだけが、ほんの少し伝わればと思っています。


静けさは、感じられたときにだけ現れるものではありません。雑念でいっぱいのときも、その雑念の背景で、静けさは一度も途切れていないのです。空が雲に覆われていても、空そのものがなくなっていないのと同じように。


それから、もしこの三分間のあいだに、息苦しさや落ち着かなさを強く感じたときは、無理に続けなくて大丈夫です。目を開けて、まわりの景色を眺めたり、身体を少し動かしたりしてください。これは我慢して耐えるものではなく、いつでもやめていい、やわらかな遊びのようなものです。


この小さな実践は、一度で終わらせなくてもかまいません。むしろ、日々の暮らしの中で、ときどき思い出していただけたらうれしいです。長い時間をとる必要はありません。一日に一回、ほんの数秒でいいのです。


たとえば、朝、最初の一口のお茶を飲むとき。

信号が青に変わるのを待っているとき。

パソコンが立ち上がるまでの、わずかな待ち時間。

誰かの返事を待っている、ほんの少しの間。


そういう、普段は「何もない時間」と思って通り過ぎている隙間に、ふと音に気づき、呼吸に気づき、気づいている何かに戻ってくる。


続けようと頑張らなくて大丈夫です。忘れてしまっても、何日も思い出さなくても、それでかまいません。思い出したときが、いつでも始まりです。そして、あなたが忘れているあいだも、その「在る」は一度もどこかへ行ってはいないのですから。


このサイトには、こうした気づきを、さまざまな角度からたどる記事が並んでいます。今日の三分間で何かが心に残った方は、ぜひ気の向くままに、ほかの記事にもふれてみてください。


最後に、一つだけ。


この三分のあいだ、音が去り、呼吸が移り変わり、考えが浮かんでは消えていきました。


そのすべてを、最初から最後まで見届けていたのは、誰でしょう。





次に読むなら



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