三分だけ、読むのをやめてみませんか。はじめての小さな実践
更新日:3 日前
この記事は、読むためというより、少し立ち止まるためにあります。
何かを理解しようとしなくて大丈夫です。正しくやろうとする必要もありません。うまくできたかどうかを、あとで確かめる必要もありません。
必要なのは、三分ほどの時間と、今いるその場所だけです。電車の中でも、仕事の合間でも、寝る前の布団の中でもかまいません。姿勢を整える必要もありません。ただ、もしできるなら、肩の力を少しだけ抜いてみてください。
では、始めましょう。
まず、今いる場所の音に、耳を澄ませてみてください。
遠くを走る車の音。
エアコンや冷蔵庫の、かすかな唸り。
誰かの話し声、鳥の声、風の音。
あるいは、ほとんど何も聞こえない、という静けさ。
音を探しにいかなくていいのです。ただ、すでに聞こえているものに、気づくだけ。その音が心地よいか、うるさいかを決めなくてもかまいません。名前をつけなくてもかまいません。音が来て、音が去っていく。それを、ただそのままにしておきます。
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少し、時間をとってみてください。
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音は、次々に現れては消えていきました。
けれどあなたは、何もしていなかったはずです。
音を呼び寄せたわけでも、追い払ったわけでもない。
それでも、すべての音はちゃんと聞こえていました。
次に、意識を呼吸へ移してみます。
呼吸を変えようとしないでください。深くしようとも、ゆっくりにしようともせず、今しているままの呼吸に、ただ気づいてみます。息が入ってくるとき、鼻の奥や胸のあたりが、わずかに広がる感じ。息が出ていくとき、身体がほんの少しゆるむ感じ。
呼吸は、あなたが意識していないあいだも、ずっと続いていました。眠っているあいだも、この文章を読んでいるあいだも。あなたが「呼吸をしている」というより、呼吸が、あなたの中で起きている。そんなふうに感じられるかもしれません。
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入ってきて、出ていく。
また入ってきて、出ていく。
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途中で考えごとが浮かんできても、まったく問題ありません。それも、音と同じように、来ては去っていくものです。気づいたら、またそっと呼吸に戻ってくればいいだけです。
では、最後の一つです。
ここまで、あなたは音に気づき、呼吸に気づいてきました。そこで今度は、少しだけ向きを変えてみます。
音に気づいていたのは、何でしょう。
呼吸に気づいていたのは、何でしょう。
答えを探さなくていいのです。
言葉にしなくていいのです。
ただ、音や呼吸や考えごとが現れては消えていくあいだも、ずっとそこに在り続けていた「気づいている何か」に、ほんの一瞬、意識を向けてみてください。
それは、どこか特定の場所にあるわけではないかもしれません。形も、色も、境目もないかもしれません。けれど、確かにここに在る。何も足さず、何も引かなくても、すでにここに在る。
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それで、終わりです。
もしかすると、何かを感じたかもしれません。
静けさのようなもの。
広がりのようなもの。
ふっと肩が軽くなるような、理由のわからない安心。
あるいは、何も感じなかったかもしれません。
「よくわからなかった」
「雑念ばかりだった」
「本当にこれでいいのだろうか」
そう思われた方もいるでしょう。
どちらでも、まったくかまいません。
ここで大切なのは、特別な体験をすることではないのです。何かを感じたときも、何も感じなかったときも、そのどちらにも気づいていた何かが、変わらずにそこに在った。そのことだけが、ほんの少し伝わればと思っています。
静けさは、感じられたときにだけ現れるものではありません。雑念でいっぱいのときも、その雑念の背景で、静けさは一度も途切れていないのです。空が雲に覆われていても、空そのものがなくなっていないのと同じように。
それから、もしこの三分間のあいだに、息苦しさや落ち着かなさを強く感じたときは、無理に続けなくて大丈夫です。目を開けて、まわりの景色を眺めたり、身体を少し動かしたりしてください。これは我慢して耐えるものではなく、いつでもやめていい、やわらかな遊びのようなものです。
この小さな実践は、一度で終わらせなくてもかまいません。むしろ、日々の暮らしの中で、ときどき思い出していただけたらうれしいです。長い時間をとる必要はありません。一日に一回、ほんの数秒でいいのです。
たとえば、朝、最初の一口のお茶を飲むとき。
信号が青に変わるのを待っているとき。
パソコンが立ち上がるまでの、わずかな待ち時間。
誰かの返事を待っている、ほんの少しの間。
そういう、普段は「何もない時間」と思って通り過ぎている隙間に、ふと音に気づき、呼吸に気づき、気づいている何かに戻ってくる。
続けようと頑張らなくて大丈夫です。忘れてしまっても、何日も思い出さなくても、それでかまいません。思い出したときが、いつでも始まりです。そして、あなたが忘れているあいだも、その「在る」は一度もどこかへ行ってはいないのですから。
このサイトには、こうした気づきを、さまざまな角度からたどる記事が並んでいます。今日の三分間で何かが心に残った方は、ぜひ気の向くままに、ほかの記事にもふれてみてください。
最後に、一つだけ。
この三分のあいだ、音が去り、呼吸が移り変わり、考えが浮かんでは消えていきました。
そのすべてを、最初から最後まで見届けていたのは、誰でしょう。
次に読むなら




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