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I AMの声 — 内なる自己との対話

学ぶほどに、孤独になっていくのはなぜか

5 時間前
読了時間: 5分
目覚めや「在る」ということについて学びはじめてから、世界の見え方が少しずつ変わってきました。それ自体は、とても大切な変化だと感じています。 けれど、その一方で、家族や昔からの友人との会話が、なぜか噛み合わなくなってきたのです。誰かの噂話や、損得の話、将来への不安の話。以前は自然に加わっていたはずの会話に、どこか居心地の悪さを感じてしまいます。かといって、自分が感じていることを話してみても、怪訝な顔をされるだけでした。 大切な人たちがすぐそばにいるのに、ひとりだけ別の場所に立っているような孤独を感じます。目覚めとは、こんなにも寂しいものなのでしょうか。

お便りをありがとうございます。


大切な人たちのそばにいながら感じる孤独は、一人きりでいる孤独よりも、ときに深く胸にこたえるものです。その寂しさを、言葉にして届けてくださったことに、心から感謝しています。


最初にお伝えしたいのは、あなたが感じている違和感は、決しておかしなものではないということです。見え方が変われば、これまでの会話の景色が違って見えるのは自然なことです。そしてこの孤独は、目覚めの終着点ではなく、この道を歩む多くの人が一度は通り抜けていく、静かなトンネルのようなものでもあります。


私自身も、このトンネルの中にいた時期がありました。


学びはじめた頃の私は、本で出会った言葉に胸を震わせるたびに、それを誰かに伝えたくてたまりませんでした。友人との食事の席で、思いきって「本当の自分は、思考ではないのかもしれない」と話してみたこともあります。返ってきたのは、少し困ったような笑顔と、「難しいことを考えてるんだね」という一言でした。


それ以来、私は自分の感じていることを、身近な人に話さなくなりました。話しても伝わらない、どうせわかってもらえない。そう思うほどに、皆の会話がどこか遠くに聞こえるようになり、自分だけがガラス越しに世界を眺めているような気がしていたのです。


あの頃の私は気づいていませんでしたが、そのガラスを立てていたのは、ほかの誰でもなく、私自身でした。


では、私たちは本当に、一人だけ別の場所に立っているのでしょうか。


ここで、深い森を思い浮かべてみてください。


森には、たくさんの木々が立っています。太い幹の木もあれば、細くしなやかな木もある。枝ぶりも、葉の色も、背の高さも、一本一本まったく違います。地上から眺めれば、それぞれの木は、離ればなれにひとりで立っているように見えます。


けれど、足もとの土の下では、木々の根が互いに絡み合い、目に見えない細やかなつながりを通して、水や養分を分け合っていると言われています。地上では隔たって見える木々も、根の深いところでは、一つの命の網の中で、静かに支え合っているのです。


あなたと、家族や友人との関係もこれに似ています。


交わす言葉や、関心を向ける話題は、地上に伸びる枝葉のようなものです。そこでは確かに、互いの違いが目につきます。けれど、言葉が噛み合わないことは根が切れてしまったことを意味しません。その人たちの奥にもまた、あなたと同じ一つの「在る」が、変わらず息づいているのです。


そして、もう一つ、問いを置かせてください。


「わかっている私」と「わかっていない相手」。その二つのあいだに線を引いているのは、誰でしょうか。


学びが深まるにつれて、私たちの中には、知らず知らずのうちに「目覚めつつある私」という、新しい自己像が生まれてくることがあります。それはとても静かで、気づきにくいものです。けれど、その新しい自己像こそが、「あの人たちには、わからない」という線を引き、自分を一人隔ててしまうことがあるのです。


私が気づいたのは、目覚めとは、誰かとの違いを深めていくことではなく、誰とも違わない場所に還っていくことだ、ということでした。


「在る」ということは、学んだ人だけが持っている特別なものではありません。噂話に夢中になっている人の奥にも、将来を心配している人の奥にも、同じように満ちています。そう見えたとき、噛み合わない会話の只中にいても、不思議と寂しさがやわらいでいくのを感じました。


それからの私は、自分の感じていることを、無理に言葉で伝えようとしなくなりました。代わりに、目の前の人の話を、ただ静かに聴くようになりました。伝えるべきことがあるとすれば、それは言葉よりも、そばに在るその在り方の中で、自然に伝わっていくのだと思えるようになったのです。


もしよろしければ、次に家族や友人と話すとき、一つだけ試してみてください。


相手が話しているあいだ、正しい答えを返そうとするのも、自分の考えを伝えようとするのも、少しだけ脇に置いてみます。そして、相手の声に耳を傾けながら、心の中でそっとこう思ってみるのです。


「この人の奥にも、同じ『在る』が息づいている」


何かを感じ取ろうとしなくても大丈夫です。その思いを置いた瞬間に、ガラス越しだった景色が、ほんの少しだけ近くなる。そのわずかな温かさに触れていただければ、それで十分です。


わかり合えない日があっても、言葉が届かないもどかしさを感じる日があっても、あなたと大切な人たちとのつながりは、少しも損なわれていません。言葉の届かない深いところで、あなたたちはずっと、同じ一つの土の中に根を下ろしているのですから。


目覚めは、あなたを一人にするものではありません。地上の枝葉がどれほど違って見えても、根の深いところで、あなたは一度だって誰かから離れたことなどありませんでした。


どうか、わかってもらえない寂しさを、無理に押し込めずに抱きしめてあげてください。そして、言葉の噛み合わない会話の中にも、変わらず流れている温もりに、そっと身を委ねてみてください。




── 凛風リュウジ

わかり合えなさの中で、それでもつながっているあなたへ



あなたの問いをお寄せください


【あなたからの問いへ】では、読者の皆さまから寄せられた問いに、毎週木曜日にお返事を書いています。


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